2004年1月12日に、中國科學(xué)院と中國工學(xué)院のアカデミー會(huì)員582人が2003年の中國の10大科學(xué)?技術(shù)成果を決める票決を行った。
一、初めての有人宇宙飛行は円満な成功をおさめた。中國最初の宇宙飛行士の楊利偉氏が乗り込んだ「神舟5號(hào)」宇宙船は2003年10月15日に打ち上げに成功し、地球を14周して無事に帰還した。
二、高収量イネゲノム解読とウルトラ交雑水稲の研究で重要な突破を遂げた。中國科學(xué)院遺伝および発育生物學(xué)研究所李家洋アカデミー會(huì)員と中國水稲研究所の銭前研究員をリーダーとする課題グループは、水稲の分けつをコントロールする遺伝子を発見しただけでなく、この遺伝子の分離とクローンに成功を収め、高収量水稲の遺伝子解明で突破的な進(jìn)展をとげた。中國工學(xué)院の袁隆平アカデミー會(huì)員が主宰する「ウルトラ交雑水稲の育種」という課題は、湖南省のモデル試作田2カ所での収量が1ヘクタール當(dāng)たりそれぞれ1萬2112キロと1萬2261キロに達(dá)し、交雑水稲の大面積栽培の難題を解決した。
三、重癥急性呼吸癥候群(新型肺炎SARS)治療についての科學(xué)研究で段階的な成果をあげた。中國の科學(xué)者、技術(shù)者はSARS患者のウイルス生物サンプルから冠狀ウイルスを分離し、SARSの快速検出試薬、SARS予防?治療の薬物の開発に取り組み、SARS流行病學(xué)、臨床診斷と治療、生物防止?保護(hù)裝置などについての研究で進(jìn)展をとげ、SARSウイルスの不活性ワクチンの研究を完成し、臨床実験段階に入った。
四、ナノテクの技術(shù)研究で進(jìn)展をとげた。中國科學(xué)院金屬研究材料科學(xué)國家実験室は表面ナノテク化技術(shù)を採用し、300℃の高溫環(huán)境の中で純鉄の表面窒素化を?qū)g現(xiàn)し、金屬材料の表面窒素化応用技術(shù)上のボトルネックを突破した。
五、世界初の商業(yè)リニア鉄道が上海で開通した。これは中獨(dú)両國のハイテク分野における重要な技術(shù)成果である。リニアモーターカーの走行総距離數(shù)は33キロ、列車の時(shí)速は430キロ、片道運(yùn)行時(shí)間はわず8分間。上海の科學(xué)者、技術(shù)者たちは140余りの科學(xué)研究実験を行い、八つの特許を取得し、上海のリニア技術(shù)を世界の先進(jìn)レベルに引き上げた。中國はドイツ、日本についでリニア技術(shù)をもつ3カ國目となった。
六、三峽ダムの貯水に成功し、永久性船舶通航閘門の使用が始まり、最初の発電機(jī)ユニット6臺(tái)が全部稼動(dòng)し、水力発電所における水力発電設(shè)備據(jù)え付けと稼動(dòng)においての世界記録を作った。長江三峽ダムのダム最終完成前の水位は現(xiàn)在135メートルに達(dá)している。三峽ダム工事の二本の5段階閘門は世界で規(guī)模の最も大きな內(nèi)陸河川閘門と見なされている。
七、量子通信実験分野で重要な成果をあげた。中國科學(xué)技術(shù)大學(xué)の量子物理および量子情報(bào)実験室は量子もつれ(Quantum Entangement)の濃縮を成功裏に実現(xiàn)するとともに、この技術(shù)を利用して世界で初めて長距離量子通信で最も肝心なユニットデバイス――量子中継器を完成し、將來の長距離量子通信の実現(xiàn)のための基礎(chǔ)を固めた。
八、100テラのデータ開発に成功した。中國科學(xué)院計(jì)算機(jī)研究所國家知能計(jì)算機(jī)研究開発センターと曙光公司が共同で開発した曙光4000Lシステム全體は、40のキャビネットからなるものであり、644CPUをもち、ピーク速度は毎秒3兆回に達(dá)し、644Gのメイン?メモリ、100テラバイト(100TB)のメモリを持っている。このシステムは80のキャビネットにオン?ラインでつながり、ピーク時(shí)の速度は6兆7500億回に達(dá)し、同時(shí)に、高性能の科學(xué)分野の演算や情報(bào)サービスの2大分野で役割を果たすことができるという。
九、制御熱核融合の研究実験で重要な突破をとげた。中國科學(xué)院プラズマ研究所はHT-7超伝導(dǎo)トカマクの実験で、1分間を超えるプラズマ放電を達(dá)成し、これでHT-7超伝導(dǎo)トカマクが1分間クラスの高溫プラズマを発生する世界で2例目の実験裝置となった。
十、四つの翼をもつ恐竜を発見した。中國科學(xué)院古脊椎動(dòng)物および古人類研究所の徐星氏や周忠氏およびその同僚たちは、遼寧省で発見された恐竜の化石を研究したところ、鳥類の祖先と見なされる恐竜が四つの翼をもっていたことを発見し、飛行能力をもっていた可能性があると見ている。この発見は、鳥類の祖先が樹木の上で生息していたものであり、しかも飛行段階があったという鳥類起源説にとってポイントとなる証拠をものにした。