「現(xiàn)代金報(bào)」の報(bào)道によると、中國(guó)を侵略した日本軍による細(xì)菌戦の中國(guó)人被害者を原告とする「731部隊(duì)細(xì)菌戦國(guó)家賠償請(qǐng)求訴訟」の控訴審は3月22日、東京高等裁判所で第10回公判が行われる?!噶x烏(浙江省)侵華日軍暴行展覧館」建設(shè)計(jì)畫の擔(dān)當(dāng)者である王培根氏が15日明らかにしたところ、訴訟を支援する日本の市民団體「731?細(xì)菌戦裁判キャンペーン委員會(huì)」の奈須重雄事務(wù)局長(zhǎng)から、義烏での細(xì)菌戦の証拠資料となる古い寫真の提供を受けたという。王氏は「中國(guó)人被害者が日本侵略軍による細(xì)菌戦の暴力を告発する上で動(dòng)かぬ証拠だ」と話している?! ?
王氏によると、奈須事務(wù)局長(zhǎng)はこのほど、同訴訟原告団の王選団長(zhǎng)と共に義烏を訪れ、侵華日軍暴行展覧館について中國(guó)の民間人士と共同シンポジウムを開(kāi)いた。このシンポジウムで、中國(guó)を侵略した日本軍が「皇軍戦功」を宣伝する古い寫真1枚が初めて示された。
奈須事務(wù)局長(zhǎng)の説明では、この寫真は1942年6月3日の日本「朝日新聞」紙上に掲載されたものだという。日本の平和運(yùn)動(dòng)研究家が見(jiàn)つけた時(shí)、この新聞の保存狀態(tài)は良好だった。研究家は新聞紙上の寫真をコンピュータースキャナーでスキャンして展示用パネルを作り、他の展示パネル71枚と資料本4冊(cè)と共に義烏侵華日軍暴行展覧館へ贈(zèng)った。この寫真は當(dāng)時(shí)、中國(guó)を侵略した日本軍の浙江省東部戦線に従軍記者として派遣された「白沢特派員」が撮影したもので、內(nèi)容は日本侵略軍を稱えるため、義烏の占領(lǐng)期間中、日本軍の防疫給水挺身隊(duì)の隊(duì)員たちが防毒マスクをかぶり、防毒服を身につけ、擔(dān)架で被害者を「救護(hù)」する「業(yè)績(jī)」を?qū)懁筏郡猡韦馈?
王団長(zhǎng)、奈須事務(wù)局長(zhǎng)ら一行はこのほど、義烏の老西門を訪れて現(xiàn)場(chǎng)検証を行い、この寫真の撮影現(xiàn)場(chǎng)が義烏市西門街117―121號(hào)であることをほぼ確認(rèn)した。
王団長(zhǎng)は「義烏が日本軍による細(xì)菌戦の被害に遭った當(dāng)時(shí)、日本軍の細(xì)菌戦部隊(duì)が実際に『活動(dòng)』している情景を撮ったこのような古い寫真は今ではもう探すのが難しい。このため、この古い寫真は非常に貴重だと言える。日本関東軍防疫給水部、すなわち悪名高い731細(xì)菌戦部隊(duì)は、義烏に現(xiàn)れた日本の防疫給水部隊(duì)と直接関係があるだろう」と話している。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年3月16日