瀋陽(yáng)市大東區(qū)はこのほど同市文物局や遼寧省「九?一八」戦爭(zhēng)研究會(huì)の専門(mén)家を招き、米、英同盟軍の戦爭(zhēng)捕虜収容所建物などの保護(hù)と復(fù)舊について検討し、戦爭(zhēng)捕虜宿泊施設(shè)遺跡に記念館を建て、世界文化遺産指定申請(qǐng)をおこなうことになった。
「九?一八」戦爭(zhēng)研究會(huì)の王建學(xué)氏は、第二次世界大戦期間に、ポーランドのアウシュビッツ強(qiáng)制収容所は歐州戦場(chǎng)にあったが、米、英連合軍戦爭(zhēng)捕虜収容所はアジア戦場(chǎng)にあった。ここは今日まで殘っている唯一の戦爭(zhēng)捕虜収容所施設(shè)跡地で、アウシュビッツ収容所と同じように世界的な影響をもつものであり、「オリエントのアウシュビッツ」と言ってもよい。ここにはかつて日本軍の捕虜となった1400人のアメリカ軍の將兵とイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、カナダ、オランダなどの國(guó)の100余りの將兵が収容されていたところで、そのうち高級(jí)將校が17人もいた。アウシュビッツ収容所はすでに世界文化遺産と指定されており、ここも世界文化遺産登録を申請(qǐng)すべきである、と提案された。
瀋陽(yáng)市文物局の責(zé)任者は、ここは特殊な歴史的価値のある文化遺産であり、ここに記念館をつくるのは歴史に責(zé)任をもつことでもあると語(yǔ)った。
関係方面は専門(mén)家の意見(jiàn)を受け入れて、施設(shè)を修復(fù)し、政府や民間組織から資金を調(diào)達(dá)し、できるだけ短期間に工事を完成する計(jì)畫(huà)を立てている。
「チャイナネット」2005/03/29