|
徽州の秋景色
徽州は安徽省の最南端に位置し、行政區(qū)畫として宋の宣和3年(1121年)からこういう地名となり、すでに883年の歴史がある。當(dāng)時(shí)の管轄區(qū)域は現(xiàn)在の安徽省南部の歙県、イ(黒に多)県、績(jī)渓、祁門、休寧および江西省北部の婺源県をあわせたものであった。
1949年5月、新中國(guó)の政府は徽州専區(qū)を設(shè)置し、1971年には徽州地區(qū)と改め、1987年11月には黃山市と地名を変更した?,F(xiàn)在は三區(qū)(屯渓區(qū)、黃山區(qū)、徽州區(qū))、四県(歙県、イ<黒に多>県、祁門、休寧)、黃山景勝區(qū)を管轄している。
域內(nèi)は山紫水明で、山や水の景勝地がたくさんある。全國(guó)10大景勝區(qū)の一つである黃山のほか、「長(zhǎng)江以南の翡翠」と言われる太平湖、「山と水のギャラリー」といわれる新安江、今になっても原始的様相そのまま保っている枯牛降、清涼峰自然保護(hù)區(qū)、道教四大名山の一つと言われる斉雲(yún)山の奇巖怪石と道観(道教の寺)、昔の姿を完璧に保存している石の彫刻と石碑が千あまりもある。
徽州はまた明、清の時(shí)代に一世を風(fēng)靡した徽商(安徽商人)の出身地である。歴史上數(shù)多くの文化名人が輩出したばかりでなく、ユニークな徽州文化を形成し、後の世代の人たちが観賞することのできる文物古跡がたくさん殘っている。特に徽派の建築蕓術(shù)、伝統(tǒng)手工蕓などは昔から內(nèi)外で知られ、明?清の石坊、祠堂(先祖を祭る祖廟)、民家は古代建築物の「三つの絶品」と言われている。
今日の徽州には數(shù)千カ所の昔の民家が完璧な形で保存され、もみじと民家が渾然一體となって、秋の景色を多彩に演出している。イ県の西逓村と宏村は2000年11月30日、國(guó)連ユネスコの世界文化遺産に登録され、景色の美しい歙県の県政府所在地は中國(guó)の歴史文化の町と言われ、屯溪の舊い通りは宋、明、清の時(shí)代の雰囲気を最も完璧に保存している歩行者天國(guó)のような商業(yè)通りである。
徽州の民家は地元の自然の特徴と住民の風(fēng)水(地相、家相のこと)に対する祈願(yuàn)、美意識(shí)を集中的に具現(xiàn)している。民家の外観は整然として美しく、白い壁に黒いレンガ、いただきの両側(cè)はウマの耳のように高くそりあがり、色彩的に優(yōu)雅で上品である。屋敷の飾りものにはたいていレンガ、木材、石の彫刻が使われ、建物全體が詩(shī)の境地のように精緻で美しい?;罩萘髋嗓谓ㄎ铯蟽?yōu)雅、簡(jiǎn)潔、華麗さを一體化したもので、今日に至ってもユニークなスタイルを保っている。
徽州はまた多くの古代名人の故郷として知られている。古代の作家、詩(shī)人、畫家、書家、役人の邸宅は完璧な形で保存されており、これら舊居の中には大量の文物が収蔵されている。
|
|